敦煌にて
敦煌のホステルでは
大部屋にベットが
10個くらい並んでおり
欧米人の一人旅が2人だけ
ガランとしていました
ベットに胡坐をかいて
パッキングをしていたら
近くのカナダ男性が
着替え始め
見ない方がいいかなと思い
胡坐をかいたまま
モゾモゾと半回転
それが面白かったようで会話になり
2人でご飯を食べに外へ
観光ビザが
緩和される前の中国は
外国人観光客が少なく
たまに会う旅人同士は
少ない旅の情報を求めていて
話しかけやすかった
特に日本人は漢字がわかるので
質問されることが多く
追加で色々と頼まれたりした
(ドイツ一家のように)
今では中国人の方が
英語が堪能だし
翻訳アプリもあるし
もう頼りにされることは
ないのではないかなと思う
カナダ男性は
中国語しかないメニューを見て
牛肉面(ニュウロウミェン)を
中国語でオーダー
中国ラーメンの定番
そのまま会話が
英語から中国語になり
大学卒業後
北京に留学で2年住んでいて
簡単な漢字は
わかるようになったとのこと
神秘を感じたので
中国を選んだと教えてくれた
私は神秘(シェンミー)の
中国語がわからず
後でミニ辞書で調べた
英語圏の人は
英語で説明する人が多い中
彼はミステリーと英語を使わないで
一生懸命、中国語で説明してくれた
語学が堪能になるタイプだ、、、
翌日一緒に莫高窟と
周りの遺跡を回るツアーに参加
砂漠のオアシスがある敦煌は
列車で到着すると
町中までは
タクシーしか移動方法がなかった
記憶では茶色い大地の中を
猛スピードで走った気がする
町には
何もないと言う名の旅情があり
砂埃が舞っていたりすると
古代中国を旅している感じがありました
ツアーから宿に戻り
カナダ男性が
その日の夜行バスで
北京に去るので見送りに
バス停で
みかんを渡しお別れ
メールアドレスを貰ったのに
その後の旅で
文字がにじんでしまった
facebookがあったら
探すことができただろうなと
時々思い返します
翌日は
同じ宿の別の部屋にいた
2人の日本人男性と話した
一人は同じ位の学生
もう一人は40代の男性
トゥルファンで買ってきた
おいしい赤ワインを
ロビーで振る舞ってくれた
当時はかなり失礼だったので
おじさん!
ありがとうございます!
などと言っていた記憶がある
父の年齢に近かったので
しょうがなかったということで、、、
ミスター、セニョール、ムッシュに
匹敵する日本語がないのが残念です
翌日は
おじさんと学生と共に
バスチケットをチェックしに
私は北京からカシュガルまでは
シルクロード列車旅と
決めていたので見るだけ
チケット窓口で2人が英語で
紙に書いてください!
と言っているのに
中国語で
まくしたてられている、、、
おじさんが怒っている
学生は顔を赤くして困っている
出発時間は
11時台だけ11:40発で
あとは朝の9時~16時までは30分発
(そんな感じの内容だった)
と伝えてみました
おじさんは
ちょっと、、、
もっと早く教えてよね、、、
エネルギー使っちゃったじゃない
すごい勢いで会話しているから
口が挟めなかったのです、、、
今のチケットセンターや
インフォメーションは
全てネット決済なのでしょうか
QRコードとか窓口に
貼ってあるのでしょうか、、、
あったら便利だったなあ
毎度毎度の
ニセ札確認が
かなりの手間だったのです、、、
トゥルファンへ続く