ベニスからプラハへ
ベネチアを去る日は
とても名残惜しかったです
映画旅情で
ベネチア駅のプラットホームで
見送りに間に合わずに
プレゼントを手渡せなかった男性が
中身を出し
高く掲げます
余韻が、、、
ウィーンを経由して
プラハまで列車で移動するのですが
工事か何かで
一度バスに乗ってから
どこかの駅で列車に
乗り換えることになりました
列車の駅はすぐそこなのに
肝心なバス乗り場がわからずに
同じ広場を行ったり来たり
ウロウロします、、、
周りには
すらりとしたマダムが一人
絵画の一枚のように立っています
マダムもこちらを見ていたようなので
お尋ねしました
すみません、、、
ウィーンに行く列車のバスの、、、
イエス!ここよ
私もウィーンに帰るの
どうぞどうぞ!
ありがとうございます
あーよかった、、、
さっきから見ていたんだけど
とても小さな荷物ね
日本から来たの?
はい、小さいですか?
(マダムはハンドバック一つですが)
20年、30年位前の日本人は
とても大きなスーツケースを
引いていたけど
だんだん小さくなって
今、大きいのを持っているのは
中国人が多いと思うの
日本人は旅行に慣れてきたから
コンパクトになったのね
ウィーンの方は
長年観光客を見てきたので
中国と日本の違いは
わかるようになったそうです
後ろに
韓国の女性が2人来たので
こそっと聞いてみました
マダム、彼女たちは
どこの国だと思いますか?
韓国語を話しているから
韓国ね
あ、そうか、、、
バカなこと聞いちゃった、、、
バスと列車では
ずっと一緒に話していました
あなたはトルコに住んでいたの?
私は50年前にイスタンブールに行って
あまりの汚さと人のしつこさに、、、
もう二度と行くまいと決めました
50年前のお言葉に
一瞬マダムの年齢を
聞きそうになりましたが我慢しました
まだトルコ帽をかぶっている人も
いた時代だそうです
50年前のイスタンブールか
見て見たかったなあ、、、
ウィーンに到着する前に
マダムが電話番号とメールアドレスを
くださいました
プラハから戻って
もしあなたに時間があったら
ウィーンの古いカフェで
ケーキを食べましょうと
お誘いをいただき
マダムとはまた
再会できることになりました
とても力強く
うれしかったのを思い出します
マダムの写真は載せられないので
旅情のヒロイン
キャサリンヘップバーンを
次はプラハへ